最高裁判所第二小法廷 昭和43年(し)68号 決定 1969年4月25日
主文
本件抗告を棄却する。
理由
本件抗告の趣意は、別紙添付のとおりである。
所論のうち、判例違反をいう点は、所論引用の当裁判所昭和四三年(し)第六〇号同年一二月二六日第三小法廷決定は、いまだ冒頭手続にも入らない段階において、検察官に対し、その手持証拠全部を相手方に閲覧させるよう命じた事案に関するものであり、また昭和三四年(し)第七一号同三五年二月九日第三小法廷決定は、裁判所が、検察官に対し、相手方に証拠を閲覧させるべき旨の命令を発しなかつた事案において、検察官にはあらかじめ進んで相手方に証拠を閲覧させる義務がなく、弁護人にもその閲覧請求権がないことを判示したものであるから、証拠調の段階において、特定の証人尋問調書につき、裁判所が、訴訟指揮権に基づいて、検察官に対し、これを弁護人に閲覧させることを命じた事案に関する本件とは、いずれも事案を異にし、適切な判例とはいえず、その余の点は、単なる法令違反の主張であつて、以上すべて適法な抗告理由にあたらない(裁判所は、その訴訟上の地位にかんがみ、法規の明文ないし訴訟の基本構造に違背しないかぎり、適切な裁量により公正な訴訟指揮を行ない、訴訟の合目的的進行をはかるべき権限と職責を有するものであるから、本件のように証拠調の段階に入つた後、弁護人から、具体的必要性を示して、一定の証拠を弁護人に閲覧させるよう検察官に命ぜられたい旨の申出がなされた場合、事案の性質、審理の状況、閲覧を求める証拠の種類および内容、閲覧の時期、程度および方法、その他諸般の事情を勘案し、その閲覧が被告人の防禦のため特に重要であり、かつこれにより罪証隠滅、証人威迫等の弊害を招来するおそれがなく、相当と認めるときは、その訴訟指揮権に基づき、検察官に対し、その所持する証拠を弁護人に閲覧させるよう命ずることができるものと解すべきである。そうして、本件の具体的事情のもとで、右と同趣旨の見解を前提とし、所論証人尋問調書閲覧に関する命令を維持した原裁判所の判断は、検察官においてこれに従わないときはただちに公訴棄却の措置をとることができるとするかのごとき点を除き、是認することができる。)。
よつて、刑訴法四三四条、四二六条一項により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。(草鹿浅之介 城戸芳彦 色川幸太郎 村上朝一)
検察官の特別抗告申立(昭和四三年八月四日付)
一、被告人小貫冨雄に対する公務執行妨害被告事件(別紙(一)起訴状写参照)は目下大阪地方裁判所第五刑事部に係属中であるが、弁護人は、第一回公判(昭和四〇年一〇月九日)において、遠藤政夫、遠藤鶴子、真下春夫、吉川八郎、及び浅浦隆に対する刑事訴訟法第二二六条による証人尋問調書各一通(以下本件証人尋問調書と略称する)を含む検察官手持証拠の開示を要求し、これを拒否する検察官に対し、以後第二回、及び第五回各公判においてもその要求を繰返し争つてきた。検察官は、右証拠が、いずれも訴訟の現段階では、検察官において、これを証拠として請求する意思なきもので、かかる請求の意思なき証拠はこれを開示する義務がないものであるから開示しない、との態度をとり、はじめは全面的に右証拠の開示を拒否してきたが、証拠調に入つた機会に公判期日外で、裁判所の勧告に従い、本件暴行事実の存否に関する唯一の検察官請求証人である望月健一郎の検察官面前調書についてこれを弁護側に開示し、第一二回公判(昭和四二年一一月一五日)に至つて右証人の尋問を終え、暴行事実の存否に関する検察官の立証を一応終了した。その機会に裁判所から右事実に関する立証を促された弁護人は、再び本件証人尋問調書の開示要求を繰り返えしたが、検察官はこれを拒否した。裁判所は、第一四回公判(昭和四三年七月九日)において、本件証人尋問調書の開示に関する弁護人の意見をきき、合議のうえ、第一五回公判(同年七月三〇日)において、別紙(二)のとおり、本件証拠開示問題についての裁判所の見解を表明するとともに、検察官に対し、裁判長の訴訟指揮として、「検察官は弁護人に対し、直ちに裁判官の証人遠藤政夫、同遠藤鶴子、同真下春夫、同古川八郎、同浅浦隆に対する各証人尋問調書を閲覧させること。」との命令を発したのである。
これに対し、検察官は、直ちに右命令が刑事訴訟法第二九九条、第四〇条、第四九条、第一八〇条、第一条、刑事訴訟規則第一七八条の六等の関係法令に違反するとの理由により異議の申立をしたところ、裁判所は、単に抽象的に「前記裁判所の見解として表明したと同様の理由による」として右異議の申立を理由なきものとし、直ちに棄却する旨の決定をしたのである。
二、原決定の理由とする右裁判所の見解の要旨は、
「1 裁判所は、訴訟を主宰する地位にあるものとして、訴訟を迅速かつ十分にし、法の理想を実現すべき職責を有し、右職責遂行のための固有の包括的権限として訴訟指揮権をもつているが、この訴訟指揮権は、その性質上、広い裁量の余地が認められなければならないものであつて、訴訟指揮に要請される合目的性と法的安定性との調和を考慮するときは、明文の規定がなくとも、他の明文の規定にてい触せず、法の目的に適合し、全体的法秩序を害さない限り訴訟指揮をなすことができると解するのが相当である。
2 証拠開示については、現行刑事訴訟法上、同法二九九条以外の明文の規定はないが、右事実から直ちに同法が右条文以外の証拠開示を一切認めない趣旨であるとは断定できない。すなわち、右条文以外の証拠開示が違法となる趣旨でないことは、従来一般事件の殆んどにおいて公判前に全部の証拠閲覧がなされてきた慣行に徴しても明らかである。また、現行刑事訴訟法は、憲法三一条ないし三九条の規定をうけて、当事者主義、防禦権の強化を図つているが、その防禦権の保障は十分ではなく、当事者の攻撃防禦力は不平等である。形式的当事者主義による弊害の除去をはかり、当事者の攻撃防禦力の不平等をこれ以上そこなわず、被告人側の防禦力を実質的に補強せしめることこそ、最も肝要であるが、証拠開示は被告人側の防禦力を実質的に補強する有力な一手段であるから現行刑事訴訟法が同法二九九条以外に証拠開示についての規定を設けていないが、検察官に右条文以外の証拠開示義務を絶対的に負わせてならないとの趣旨まで含んでいないことは明らかである。
3 そうだとすると、現行刑事訴訟法上証拠開示命令をなしうるとの明文の規定はないが、裁判所は、訴訟の具体的状況にてらし、開示証拠の形式、内容、開示により予想されうる被告人弁護人の利益と検察官の公訴維持上もしくは国の機密上被る不利益とを比較して、必要かつ妥当と認められる場合、訴訟指揮権に基き、検察官に対し、証拠開示を命じうる余地があり、その命令により検察官は開示義務を負担する。
4 本件証人尋問調書について、その各証人は、本件捜査上はもちろん公判審理上重要な証人であるが、右調書は、現段階では捜査の必要から弁護人の知悉権に制限を加える必要もなく、被告人に有利と推定される証拠であるし、公益の代表者として被告人に有利な証拠をも法廷に顕出すべき職責ある検察官としては、これを被告人に利用させる機会を与えるべく、また、弁護人が不必要な証人申請をすることのないように、また、事案の真実をあやまりなく知るためにも、各証人の記憶の新らしい時期になされた供述内容を予め知つておくことは有益かつ必要であるから、この段階で右調書を弁護側に閲覧させるべきであり、これにより検察官に、公訴維持上等に不利益があるとは考えられない。もしあるとすれば、検察官において納得のいく説明をすべきである。開示を拒否し続ける検察官の真意の理解に苦しむが、この種公安事件におけるこれまでの検察官のあまりにも当事者主義に固執した、かたくなな訴訟態度にてらせば、検察官は法の真の目的をはなれ、訴訟手続の指導権を検察官側に確保し、たゞ一途に訴訟に勝たんがための態度に出ているやにうかがわれないでもない。
5 以上のような本件訴訟の状況等を比較考量すると、本件証拠の開示は必要かつ妥当である。よつて、訴訟指揮権により、本件証人尋問調書の開示を検察官に対し命令する。」
というにあり、
なお、
「(1) 右命令は、最高裁判所昭和三四年(し)第六〇号、同年一二月二六日第三小法廷決定と事案を異にする上、右決定自体証拠開示の理論についていまだ十分論議が尽されていなかつた時期のもので、本命令が右決定の趣旨に反する点があるとしてもやむを得ない。
(2) 本命令が確定した場合に、検察官がこれに従わないときは、検察官において本件公訴を誠実に遂行する意思なきものとして、公訴棄却の措置をとる等考慮しなければならない。」
としているものである。
三、しかしながら、原決定は、以下論述するとおり、後記最高裁判所の判例と相反する判断をしており、取消を免れないものと思料する。
1 原決定は左記最高裁判所の判例に違反する。
(一) 最高裁判所 昭和三四年(し)第六〇号
昭和三四年一二月二六日第三小法廷決定
(最高裁判所判例集一三巻一三号三三七二頁)
(二) 最高裁判所 昭和三四年(し)第七一号
昭和三五年二月九日第三小法延決定
(最高裁判所裁判集刑事一三二、一八一頁)
すなわち、右各判例の判旨は、現行刑事訴訟法規のもとで、裁判所が検察官に対し、その所持する証拠書類または証拠物を、検察官において取調を請求すると否とにかかわりなく、予め被告人または弁護人に閲覧させるよう命令することはできない、とし、また、検察官はこれらの証拠を被告人もしくは弁護人に閲覧させる義務はなく、被告人弁護人らは、その閲覧請求権がない、とするものであるところ、原決定は、前記の如く、現行刑事訴訟法上二九九条以外に証拠開示に関する規定はないが、同条は、その条文以外の証拠の開示義務を検察官に絶対に負わせてはならないとの趣旨を含むものではなく、また、同法上、裁判所が証拠開示命令をなしうるとの明文の規定はないが、訴訟指揮権により検察官に対し証拠開示命令をなしうる、との見解のもとに本件の命令をなすに至り、同様の理由により、右命令に対する検察官の異議を理由なしとして棄却したものであつて、右最高裁判所の各判例と相反する判断をなしたことが明らかである。
原裁判所は、前記のとおり、右判例の(一)を掲げ、これと本件の命令とは事案を異にするといつている。しかし、本件命令の場合は、一応暴行の事実関係についての検察官の立証が終つた段階における検察官手持証拠である同法二二六条による証人尋問調書(書証並びに証人としてもその取調を請求しないもの)が、開示対象であるのに対し、
(一)の判例の事案は、起訴状朗読前における検察官手持証拠の全面開示に関するものであり、
(二)の判例の事案は、主尋問終了後、反対尋問前の証人の検察官面前調書の開示に関するもの
であつて、その限りでは、事案を異にするところがあるけれども、右各判例の判旨は前述のとおりであつて、本件命令と全く同じく、現行刑事訴訟法上検察官に証拠開示命令を発しうるか否かに関する共通の事案であり、その対象証拠も検察官において取調請求の意思なきものに関する点において全く同様の事実である。
2 原決定が、裁判所の訴訟指揮権により、明文の規定なくして、検察官に対し、証拠開示命令を発しうる、としているのは違法である。
この点も、結局、前記判例と相反する判断をしていることに帰着する。すなわち、前記(一)の判例の事案における原決定ないし原裁判所裁判所長の命令も、訴訟指揮としてこれをなす旨を明言していないけれども、訴訟促進をはかるためその見解を表明しその処分に及んでいることは、その内容形式等に照らし明らかであつて、訴訟指揮権に基くものであることは疑いなく、また、検察官の特別抗告もその理解のもとになしており、これに対する最高裁判所の判断も、もとよりその前提に立つて、かかる、訴訟指揮としての証拠開示命令権を否定しているのである。ただこの判例の事案では原決定又は命令が、裁判所のなす実体的真実発見に協力すべき検察官の真実究明義務から直ちに刑事訴訟法二九九条以外の証拠についても検察官にその開示義務があると解し、その義務の履行を命ずる形式をとつているが、本件における原決定ないし原裁判所裁判長の命令は、かかる義務を予定せず、訴訟指揮権による証拠開示命令により、はじめて検察官はその証拠の開示義務を負担するとしている点において若干趣きを異にするところがあるのみである。
ところで、本件において原決定は、前述の如く、訴訟指揮権は、その性質上広い裁量の余地が認められなければならず、明文のない場合でも訴訟指揮をなしうる場合があるとし、明文なき証拠開示命令を訴訟指揮としてなしうるとしているのである。しかしながら、訴訟指揮は、もともと訴訟の審理に一定の秩序を与え、その円滑な遂行をはかるためのものであるから、裁判所の合目的活動として広い裁量の余地あることは是認できるとしても、その訴訟指揮はもとより法及び規則に適合したものでなければならず、また、その性質上、内在する限界があるといわなければならない。結局、裁判所の職権による裁量行為も無制限になしうるものでなく、当、不当の価値判断が加えられなければならない。その価値判断には、おのずから一定の基準性があり、裁量行為が、この基準に照らし、著しく不当な場合には違法となる。その当否の判断の基準は一般的に規定されていないけれども、憲法を頂点とする全法秩序に反しないこと、刑事訴訟における法の目的(刑事訴訟法一条)に適合し、かつ訴訟構造を害しないこと、刑事訴訟法規に個々に明定されている諸規定、わけて訴訟指揮に関する規定との比重を考慮すること、などによつておのずから明確というべきであろう。然るに原決定は、結局、本件における如き、証拠開示命令を明文なき場合の裁量による訴訟指揮権の行使として適法妥当なものとしているのであるが、かかる裁量行為が果して右の判断基準にてらし、許されるか否か、その当、不当があらためて吟味されなければならない。然るときは、
(一) その裁量行為につき、憲法以下の国法との関係において司法に付随する訴訟指揮という裁判所の裁量行為によつて、実質的に立法権の侵害がなされていることはないか、
(二) 検察官の国法上の地位、当事者主義訴訟構造において当事者としての検察官に付与されている機能に不当な制約等を加えることはないか、当事者主義に対する逸脱した介入ではないか、
(三) 公共の福祉と基本的人権との調和の上に国家刑罰権の適正な実現を目的とした刑事訴訟法の理念にてい触するところはないか、
等の諸点が考慮されなければならない。そこでこれらの点につき考察するに、
(一) 原裁判所の裁量行為としての訴訟指揮、すなわち、本件証拠開示命令は、実質的に立法権を侵害することになり、裁量の判断基準を著しく逸脱するもので明らかに違法と解せざるを得ない。すなわち、現行刑事訴訟法は、当事者の手持の証拠開示に関し、二九九条を設けているのみである。これは、当事者が取調を請求する証拠に限り、その開示義務を規定したものであつて、それ以外のものの開示につき、同法は何らふれるところがない。
しかし、同法四〇条が公訴提起後の弁護人の裁判所における訴訟関係書類等の閲覧謄写権を定め、四九条においては、被告人の公判調書閲覧権を規定しているが、それは弁護人のない場合に限り、しかも閲覧のみにとどめて謄写を許さず、また、一八〇条においては、被告人、被疑者又は弁護人の請求による拠証保全の処分に関する書類及び証拠物について、検察官と並んで、その処分の請求をした側の弁護人の閲覧謄写権をわざわざ規定する(第一項)とともに、被告人被疑者については、弁護人のないときに限り、裁判官の許可を受け、しかも閲覧のみに限定してその権利を認める規定を置いている(第二項)。これらの規定によつてみると、法は、前記二九九条を含め、証拠書類を含む訴訟書類や、証拠物の閲覧等について、一定の秩序を考え、限度を示して、被告人、被疑者、弁護人及び検察官の権利を認め、これに対応する相手方又は裁判所の義務を予定し、これを直接、法によつて定め、それ以外の証拠書類等について、閲覧等の権利又は義務を認めていないものである。したがつて、証拠開示について、如何なる範囲で当事者にその権利を認め、またはその義務を負担させるかは、既に法によつて厳格に定められているのであり、その範囲を変更せんとするのは正の法の改正によらなければならないことである。現行刑事訴訟法上は、公共の福祉と個人の基本的人権の調和と均衡のもとに、実体的真実を発見し、刑罰権の適正な実現をはかる目的にのつとり、証拠開示についての当事者の権利義務は、二九九条の場合を限度としているものと解すべきである。そこで、立法によらずして、裁判所が単に裁量行為として訴訟指揮により、その証拠開示の範囲を増減して当事者にこれを命じることは、立法権を実質的に侵害することになるといわなければならない。したがつて、二九九条以外の当事者の手持証拠について、訴訟指揮権により開示命令をなすことは、裁量の判断基準を著しく逸脱するもので違法と解すべきである。
さらに、刑事訴訟規則一七八条の六は、法二九九条の規定をうけて、この規定により、検察官が被告人又は弁護人に対し、閲覧の機会を与えるべき証拠書類等があるときは、公訴の提起後なるべくすみやかにその機会を与えるべき旨を規定している。この規定は、その規定の文言から明らかであるように、法二九九条により検察官が証拠として取調請求をするものに限定しての規定であつて、それ以外の証拠に関するものではない。この規則は、前記証拠開示に関する最高裁判所の決定がなされた後の昭和三六年六月一日最高裁判所規則六号により創設されたものであるが、その際、とくに法二九九条以外の証拠の開示については、何らの規定も設けられなかつたところに注目しなければならない。このことは、法の改正によらずして、右証拠の開示を検察官に義務づけることはできないことを認めたものと解せられる。この点原決定は規則にも適合しない違法な裁量をなしたものといわなければならないのである。原決定によると、同法二九九条は同条以外の証拠の開示を違法とするものではなく、そのことはそのような開示が殆んどの一般事件では慣行としてなされてきたことに徴しても明らかである、したがつてまた二九九条は検察官にその義務を負わせることを拒否する趣旨でもないと解せざるを得ない、としているのであるが、検察官において二九九条以外の証拠を任意に開示することが違法とならないのは、本来検察官に委ねられた範囲に属し、むしろ当然であり、敢て慣行の存在を持ち出すまでもない。このような任意の開示が違法とならないことから、直ちに、法は検察官にこれを義務づけることを、拒否するものではない(すなわち義務づけても違法とならない)と結論することは明らかに論理の飛躍である。むしろ法は、その義務を二九九条の範囲に限定し、それ以外のものの開示を義務づけるのは相当でないとしてこれを拒否しているものと解すべきである。
以上のとおり、原裁判所の本件裁量行為は、本来法の改正にまたなければなしえないことを、その裁量によつてなしているものであつて、違法であることが明らかである。
(二) 次に、原裁判所の本件裁量行為は、検察官の国法上の地位及び刑事訴訟における当事者としての検察官に付与されている権能に不当な制約を加え、当事者主義に対する逸脱した介入となるものであつて、著しく不当であり、違法な裁量行為というべきである。
まず、現行刑事訴訟法は当事者主義を強化しているが、当事者主義は、裁判所を公正な第三者の地位に置くことを要請する。裁判所は、いたずらに、拱手傍観して適正な訴訟指揮をなすことを怠つてならないけれども、また当事者の一方に偏したり、不当に当事者の訴訟遂行に介入することがあつてもならない。法及び規則が例えば、弁論の制限(法二九五条)又は弁論時間の制限(規則二一二条)を裁判長の訴訟指揮権の一として規定する反面いづれの場合においても当事者の本質的権利を害してはならない旨を規定しているが、これは右の一証左である。当事者の本質的権利とは、検察官にとつては公訴維持の利益ひいて公共の福祉であり、被告人側にとつては、反対尋問権等防禦、弁護に不可欠の権利を意味する。検察官は公益の代表者として公訴を維持し、実体的真実を究明して適正迅速な刑罰権の実現に努むべき国法上の地位、職責を付与せられているが、現行刑事訴訟法の強化された当事者主義と厳格に制約された証拠法のもとで、如何なる証拠をどのような形で法廷に顕出するか、また、その手持証拠の開示の範囲、時期等を如何にするかは、公訴を適正に維持遂行するうえに重大な影響のあることであるから、これらは検察官の本質的な権利に関するものである。したがつて、法二九九条のような明文のない場合に、そしてまた、訴訟指揮として開示命令を発すべき明文の規定なくしてその命令を発し、これによつて検察官に証拠開示の義務を負担させようとする如きは、前記国法上の地位に基づき、その職責遂行上付与されている検察官の本質的な権利を害する不当な介入であるといわなければならない。かような訴訟指揮は、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障との均衡と調和の上に真実を発見しようとして組立てられた、刑事訴訟の基本構造にも影響を及ぼすものであつて、裁量の基準を著しく越えるものとして、違法と評価せざるを得ない。
また、訴訟指揮権に関して法及び規則に詳細規定されているのであるから、このような重大な事項につき、明文なくして裁量による訴訟指揮として、これをなすことは右諸規定との権衡を欠き裁量の基準を大きく逸脱し違法といわざるを得ない。
(三) 原決定は、被告人の防禦権の強化を強調するあまり、公共の福祉の維持と基本的人権の保障との調和の基調に立つ刑事訴訟法の理念にてい触する違法な裁量を是認したものというべきである。
すなわち、原決定は、現行刑事訴訟法が、被告人の防禦権の強化をはかつていることに鑑み、同法二九九条は、同条以外の証拠の開示命令を禁ずる趣旨を含むものでないと解すべく、さもなければ同法が検察官と被告人側との力の不均衡をこれ以上さらに拡大せしめるような解釈を許すこと自体自己矛盾であるという。しかし、その見解は、一面的に被告人の防禦権のみにとらわれた考え方である。現行刑事訴訟法は、その目的として、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正かつ迅速に適用実現することを規定している(同法一条)ことから明らかであるように、公共の福祉と基本的人権との調和を基調としているのである。したがつて、被告人の防禦権のみをことさら強調するのは、この調和を破るおそれがあつて、法の精神に沿わないものである。法は、被告人の防禦のため必要とする事項は、公共の福祉との調和を考慮したうえ、これを規定しているのであつて、明文の規定のない場合に、その防禦権のみを偏重して公共の福祉との調和を忘却した解釈をなし、その解釈のもとに本件の如き裁量行為をなすことは、法の目的に適合せず、著しく裁量の判断基準を超える違法なものというべきである。
以上要するに、明文の規定がないのに、裁判所の訴訟指揮権として証拠開示命令を発することは、その裁量の判断基準を著しく逸脱して違法とならざるを得ないのである。前掲最高裁判所の判例は、結局このような裁量的訴訟指揮権による証拠開示命令を認めず、証拠開示に関する明文の規定の有無内容等を考慮した結果、法二九九条以外に検察官に証拠開示の義務なきことを確認し、取調請求の意思なきものについて検察官に対しその開示を命ずることはできないとしているのである。その旨は正当であつて当然維持さるべきものと思料する。
3 原決定は、一定の条件を具備する場合、訴訟指揮権に基き証拠開示命令を発しうるとの見解のもとに、具体的にその条件を本件にあてはめて検討しているが、その条件に適合するとした判断にも誤りがある。
すなわち原決定は、右の検討に際し、まず、
(一) 検察官は、公益の代表者として、訴訟において、裁判所をして真実を発見させるため、被告人に有利な証拠をも法廷に顕出すべき国法上の職責があり、本件の証人尋問調書は、被告人に有利なものと推定できるから、これを被告人に利用させる機会を与えることが当然の職責である、といつている。
なるほど、被告人に有利な証拠をも法廷に顕出し裁判所をして真実を発見させることは、検察官の職責であるし、検察官は常にこれを念頭におき、その実行に努めているところである。
しかしながら、形式的に被告人に有利な証拠であつても、関連性がない場合、あるいは、その内容が虚偽で事案の真相をまげたものであるなど信用性のないような証拠まで法廷に顕出すべき趣旨を包含するとは絶対に考えられない。然らざれば、それこそかえつて訴訟を混乱させ、裁判所の真実発見を妨げることになり、刑事訴訟の目的にも沿わないからである。かかる証拠の内容を検討し、法廷に顕出すべき証拠と然らざる証拠との取捨選択をすることは、一件記録のことごとくを裁判所に引継いだ旧法と異り、現行刑事訴訟法では、国家機関として検察官の良識による裁量に委ねられているものと解すべきである。訴訟を担当する公判裁判所がこれに介入することは、時に予断防止の原則に反し中正であるべき立場に背くことにもなりかねないし、公判裁判所以外の裁判所又は裁判官がこれに当るとすれば、公判裁判所との判断のくい違いを生ずる場合がおこり、問題であろう。
本件の証人尋問調書は、その各当該証人の供述状況、ないし他の証拠等に照らし、とうてい真実を述べた内容とは認められないもので、全く信用性のなきものであるから、これを検察官が法廷に顕出すべき義務はなく、かえつてその顕出は真実発見を阻害するおそれがある。また、これらの証人が、重要な目撃証人であることは認められるが、その体験事実を被告人側が証拠として利用するについては、これらの者をまず証人として尋問し、調書の証拠能力等は、その後に検討すれば足るのであつて、当初から証拠能力のないこれらの調書を法廷に顕出させようとすることは、刑事訴訟法の直接審理主義に反するところである。また、その証人尋問に備え、被告人側の準備のため予じめこれを閲覧させる必要があるという点については、これらの証人が被告人と同じく旭、都島民主商工会の会員であつて、当時捜査機関による取調べのための出頭要請に全く応ぜす、やむなく法二二六条による証人尋問手続をとつたものであるという事情や、その供述内容等に照らし、本件証人尋問調書を予じめ開示するときは、その内容とてい触しない配慮のもとに、ことさら被告人に有利な証言をするおそれもないといえない。被告人側は、もともと自らの組織陣営内にあつて当時の目撃状況等につき十分にこれを確め準備することのできるこれらの各証人について、なに故、前記証人尋問調書の事前開示を求め、その開示を受けなければ証人請求をもなし得ないと主張するのであるか、その真意の了解に苦しむところであつて、前記の疑惑を払拭し切れないものがある。原決定によれば、犯行のあつたとされているのは、今日より約三年以上も以前のことであるから、現在右各証人に記憶喪失や思い違いを生じている可能性は甚だ大であるとして、そのため記憶の新しい時期になされたこれら各証人の供述内容を予じめ知つておくことは、弁護人の証人申請等のため有益かつ必要だというのである。
しかしその目撃事実、したがつて証言にかかる事実は、極めて短時間のごく簡単なものであるのみならず、各証人はいずれも当時法二二六条による証人尋問をうけるという特異な体験をした者であり、かつその後同一組織にある被告人小貫が三年の長期にわたつて公判審理をうけている事実を知つていると推測されるものである。これらの証人が三年という日時の経過があつても、たやすくその要点を忘れるはずがなく、彼らが忘れているのはむしろ三年前に各自が如何なる証言をしたかといことであつて、原決定の非難はとうていあたらないものである。
(二) 原決定はまた、検察官は、本件証拠を開示することによる不利益があれば、納得のいく説明をすべきであるという。
しかし、本来検察官に請求の意思のない証拠の開示義務はないのであるから、その開示による不利益等開示拒否の実質的理由は、これを説明する必要がない。本件では、右(一)の状況があつて、実体的真実発見をかえつて阻害するという開示の不利益が、容易に推察されうるものであるから、ことさらこの点をとりあげとやかくいうべき筋合でなく、原決定の主張はまことに失当であると信ずる。
(三) 原裁判所は、また、この種公安事件における、これまでの検察官のあまりにも当事者主義に固執したかたくなな訴訟態度に照らせば、検察官は、法の目的をはなれ、訴訟手続の指導権を検察官側に確保し、ただ一途に、訴訟に勝たんがための態度に出ているやにうかがわれるという。
しかし、これは、事がらの実体についての洞察を欠き、余りにもかた寄つたものの見方というべきであろう。もともと捜査段階においても被告人側は、出頭拒否権や供述拒否権、弁護人との秘密交通権などの権利が保障されており、通例この種の事件では、被告人側はその権利を最大限に活用しているばかりか、組織の力を結集して多衆をたのみ、参考人の出頭拒否等あらゆる可能な手段を講じているのである。かかる事情のもとで捜査機関は制度上も実際の運用上も厳しい制約を受け、極めて困難かつ不十分な捜査を余儀なくされているのであつて、原決定のいうごとく、絶対優位の力関係に立つているものでない。
さらに公判段階に至れば、被告人に無罪の推定を受けるのに対し、検察官は当然のことながら、犯罪事実について全面的な立証責任を負担し、しかも、組織の多数を動員して傍聴席からも激しい怒号罵声の飛ぶ中で、真摯に訴訟活動をすすめ、有形無形の影響圧力を受けともすればゆらぎがちな証人に真実を証言させるため多大の努力を払い、実体的真実の発見、ひいて適正迅速な刑罰権の実現に腐心しているのである。かかる公訴維持の重責を負つてその任務を遂行している検察官が、その目的達成のため、義務なき証拠の開示を拒否することがあるのは、やむを得ないところであり、これに対し、公訴を誠実に遂行する意思なきものと論難するのは、まことに不当といわざるを得ないのである。
以上要するに、証拠開示に関する現行刑事訴訟法は、公共の福祉と個人の基本的人権保障との調和のうえに、実体的真実を発見し、刑罰権の適正迅速な実現をはかるため、二九九条の場合を限度として、検察官にその手持証拠の開示義務を負わせているもので、それ以外には開示の義務なく、かかる義務なき証拠について、検察官に開示命令を発することはできないものと解すべく、前掲最高裁判所の各判例の趣旨も右と同一に帰着すると思料されるところであり、かつ、原裁判所の見解を前提として本件の具体的事情に即してみても、結論は前記判例と全く同様であるところ、これと異る見解に立ち、検察官に本件証拠開示を命じた原裁判所裁判長の命令に対し申立てた検察官の異議を、右命令における原裁判所の見解と同様の理由により、理由なきものとして即時棄却した原裁判所の決定は、前掲最高裁判所の各判例と相反する判断をしたもので違法であるから、これをすみやかに取消されたく、本件特別抗告に及んだ次第である。 以上
別紙(一)起訴状写
別紙(二)刑事訴訟法二二六条による証人尋問調書開示問題についての当裁判所の見解
いずれも省略(本件公訴事実および右「見解」全文は本誌二二五号七九頁以下に掲載されている。)
特別抗告申立補充書<省略>